適当っていい言葉だな〜
いい加減にって意味もあるし、ちょうどよくっていう意味もある。
以前から、どうしてもすぐ完璧を目指しちゃうのは、自分の、ひいては日本人全体の悪い癖だと思ってた。
こんな完璧なレポートは本当に必要か?
こんな完璧な接客を、どうして求める?
いつも立派な人がたった一つミスを犯したとき、どうしてこんなに責める?
変に完璧を目指して、自分たちで自分たちを縛り付けてしまう。
みんながみんな完璧主義を目指して、それぞれに無理をしている。
それこそが日本社会の最大の問題点なのだ
そうだ、「完璧主義」は大変だから、「適当主義」がいい。
みんなが適当なくらいでいけば、きっと仕事のストレスも減るし、残業も減る、人間関係もうまくいく、世の中全体が上手に回るはずだ。
そんなに完璧なものが必要なときなんて、ほとんどないはずなんだ。
よし。肩の力を抜いて、適当にいこう!!!
———————---------------
。。。。。ううむ、よく考えたが、やはり「適当」はすばらしいな。
こうなったらこの「適当」をきちんと広めたい。
そうだ、政治家になって、てき党を作るのだ。
そして、みんなが「適当」に過ごせるための政策を作ろう。
サービス残業は禁止、過度の接客要求も禁止だ、ゆとり教育よりも適当教育だ。
きっとみなに喜ばれるぞ。
それでも適当にやらないやつは、牢屋に放り込もう。
完璧を求めるやつはしばり首だ。
適当じゃないやつは許さないぞ!
てき党万歳! てき党万歳!
完璧主義者に死を!!
世の中を「完璧に適当主義」にしてやるのだ!!!
。。。。。。。
ああ、、、なんにでも完璧主義を求めるのが悪い癖だったっけ。。。。
Thursday, July 17, 2014
Tuesday, July 15, 2014
アスファルトの花
学生の頃、友人と
「どんなことでうれしくなったりする?」
みたいな話になった時に
「うーん、道ばたのアスファルトの隙間から花が咲いているのをみたときとかかな。
大変な場所なのに、一生懸命咲いててすごいなーってうれしくなるよね。」
って応えたヤツがいて。
うわっ、なんてベタな答えなんだ!!!
そんなことでうれしくなるなんて、アホか、どんだけピュアなんだよ(笑
と、そのときは笑い飛ばしてしまったんだけど、
いまその彼は、とある途上国で
教育を広めるような仕事をしていて、彼の活躍を見ると、
まるでアスファルトの隙間から花を咲かせる仕事みたいだな、
と、僕がうれしくなってしまっているのです。
「どんなことでうれしくなったりする?」
みたいな話になった時に
「うーん、道ばたのアスファルトの隙間から花が咲いているのをみたときとかかな。
大変な場所なのに、一生懸命咲いててすごいなーってうれしくなるよね。」
って応えたヤツがいて。
うわっ、なんてベタな答えなんだ!!!
そんなことでうれしくなるなんて、アホか、どんだけピュアなんだよ(笑
と、そのときは笑い飛ばしてしまったんだけど、
いまその彼は、とある途上国で
教育を広めるような仕事をしていて、彼の活躍を見ると、
まるでアスファルトの隙間から花を咲かせる仕事みたいだな、
と、僕がうれしくなってしまっているのです。
Tuesday, July 8, 2014
自衛のための拳法を。
あれは、アフリカ大陸に位置する国スーダンへ出かけたときのことだった。
ある村で男がいう、この国には伝統的な拳法があるのだそうだ。
そんなものがあるのか、ならばぜひみせてくれ、というと、
男は、今は見せられない、という
曰く、これは、仲間の村の村人が攻撃されたときしか使うことのできない拳法だからだ、というのだ。
この拳法は男の村と同盟を結んでいる隣村の村人が他の村の者に攻撃された時だけ使うことができるのだという。
これこそが、友情の証だ、と男は得意げに笑った。
それにな、隣村の皆はとても強いんだ。
隣村を攻めようなんて思うやつはいない。
だから、その拳法も使われることはないよ。
おかげでこのあたりでは喧嘩なんて一度も起きたことはないんだ。
と男はいった。
うむ。たしかにその通りだ。
隣村は強いばかりでなく、非常に優秀な村長がおさめていて、規律正しく暮らしていた。
この村で乱暴をしようなんてものは誰もいないに違いない。
そして、それから数年後、またスーダンに行く機会があった。
あれから、村はどうなったのだろうか。
気になった僕はまた同じ男を訪ねて話を聞いてみた。
僕は、男を一目見ておどろいた。彼の顔中はいたるところ殴られたあざだらけだったのだ。
彼がいうには、
あの後、高齢だった隣村の村長が死に、長男が後をついだ。
だが、長男は、聡明だった父親とは違い、まったくのごろつきだった。
違う村のやつらだとみればすぐに喧嘩を吹っかけたのだ。
そうしたある日、ついに堪忍袋の尾が切れた他の村の村人たちは
隣村に殴りこみをかけたのだ。
そうなってくると、同盟をしている男の村も喧嘩に加わらざるを得なくなり、ひどく大きな殴り合いになったのだという。
そうして、男もあちこちけがをしてしまったのだという。
なんてことだ。あのときはすばらしい決めごとだと思ったのに。
村長がかわっただけでこんなことになってしまうなんて。
「それがどんなに正しいつもりでも。
力というものは一度暴れだしてしまうと、とめようのないものなんだ。
だから力を持った者は注意深く、
本当に注意深くその力を使わなくてはいけないよ。」
言葉を失った僕をみて、たんこぶで目を腫らしたまま男はそういった。
そういえば、あの拳法の名前はなんだっただろうか。。。
ああ、そうだ。
スーダン的自衛拳
というやつだ。
ある村で男がいう、この国には伝統的な拳法があるのだそうだ。
そんなものがあるのか、ならばぜひみせてくれ、というと、
男は、今は見せられない、という
曰く、これは、仲間の村の村人が攻撃されたときしか使うことのできない拳法だからだ、というのだ。
この拳法は男の村と同盟を結んでいる隣村の村人が他の村の者に攻撃された時だけ使うことができるのだという。
これこそが、友情の証だ、と男は得意げに笑った。
それにな、隣村の皆はとても強いんだ。
隣村を攻めようなんて思うやつはいない。
だから、その拳法も使われることはないよ。
おかげでこのあたりでは喧嘩なんて一度も起きたことはないんだ。
と男はいった。
うむ。たしかにその通りだ。
隣村は強いばかりでなく、非常に優秀な村長がおさめていて、規律正しく暮らしていた。
この村で乱暴をしようなんてものは誰もいないに違いない。
そして、それから数年後、またスーダンに行く機会があった。
あれから、村はどうなったのだろうか。
気になった僕はまた同じ男を訪ねて話を聞いてみた。
僕は、男を一目見ておどろいた。彼の顔中はいたるところ殴られたあざだらけだったのだ。
彼がいうには、
あの後、高齢だった隣村の村長が死に、長男が後をついだ。
だが、長男は、聡明だった父親とは違い、まったくのごろつきだった。
違う村のやつらだとみればすぐに喧嘩を吹っかけたのだ。
そうしたある日、ついに堪忍袋の尾が切れた他の村の村人たちは
隣村に殴りこみをかけたのだ。
そうなってくると、同盟をしている男の村も喧嘩に加わらざるを得なくなり、ひどく大きな殴り合いになったのだという。
そうして、男もあちこちけがをしてしまったのだという。
なんてことだ。あのときはすばらしい決めごとだと思ったのに。
村長がかわっただけでこんなことになってしまうなんて。
「それがどんなに正しいつもりでも。
力というものは一度暴れだしてしまうと、とめようのないものなんだ。
だから力を持った者は注意深く、
本当に注意深くその力を使わなくてはいけないよ。」
言葉を失った僕をみて、たんこぶで目を腫らしたまま男はそういった。
そういえば、あの拳法の名前はなんだっただろうか。。。
ああ、そうだ。
スーダン的自衛拳
というやつだ。
Monday, July 7, 2014
バターフライの及ぼす健康被害とは
ニュースを見ていたらこんな記事が目に入った。
米国には、バターを揚げた「バターフライ」というひどい食べ物があるらしい。
断言しよう。
こんな油分だらけのものを食べていたら、当然健康に被害はでるし、そのために、米国の医療費はさらに高騰する。
そして、日本との差はより大きくなるだろう。
そのために、医療費の値上につながる混合診療を米国は日本に強要し、日米の差を縮めようとするだろう。
混合診療はいわばTPPの一部であり、TPPの条約は、さらに、日本の農業に影響を与え、最終的に地方の経済減退を呼び起こす。
このように一見関係のないもの同士が、実は影響し合っていることをバターフライエフェクトという。
Sunday, July 6, 2014
七夕物語と羽衣伝説
今日は七夕ですね。
七夕といえば織姫と彦星の物語。
このエピソードは本来中国の古典に端を発するものなので、似たようなものは中・韓・日・ベトナムなどにもあります。
ところが日本以外の国では、「羽衣伝説」とごっちゃになっているケースがあります。
「羽衣伝説」といえば、天の羽衣を持って空からおりてくる天女に地上の男性が恋をする物語。
たとえば、ベトナムの七夕物語では彦星は「牛飼い」で、たまたま水浴びする天女を見てしまい、羽衣を拾って恋に落ちる、というストーリーになっています。
七夕物語は東アジアのみに伝わるものですが、羽衣伝説は世界中に、それこそアラビアンナイトの中にも出てくるように、あちらこちらにあります。
そして広く広まっているだけに、もろもろ亜流が存在し、、、たとえば、遠くイギリスまで至ると、羽衣のかわりに天女が「アザラシの毛皮」を落としていく、というストーリーになっていたりします。
と考えると、ベトナムの例は土着の物語の七夕の物語と、ワールドワイドな羽衣伝説が混ざった亜流の一つといえるかもしれません。
そんな中、日本は羽衣伝説と、彦星と織り姫の話がきちんともとに近い形で別々になって残っている珍しい国。
これは、日本がシルクロードの端にあって、中国文化圏からも、アラビア文化圏からも、程よく遠く、程よく近かったからなのかもしれませんね。
あいにく本日の日本は雨のようですが、前述の通り七夕物語は東アジア全域にありますので、どこかの天の川はきっと晴れでしょう。ご心配なく。
Tuesday, July 1, 2014
チャイティーと夢の話
毎朝立ち寄るいつもの喫茶店。
僕の顔を見ると、「いつものですね」とチャイ・ティーを出してくれる。
顔なじみの女性店員がいう。
介護の仕事なんです。」
「へー、そうなんだ、それはよかったね。」
「本当は、音楽関係の仕事をしたかったんですが、
なかなかそうもいかなくて。でも、がんばります!」
「うん、そうだね。これからきっと必要とされる仕事だしね。」
彼女は僕が音楽をやっていることは知らない。
ただ、一人の客に自身の夢の話と現実との話を教えてくれただけ。
それ以上の事情は知らないけれど、ひょっとしたら、彼女はすごくそうしたくて就職する訳じゃないのかもしれない。
でも、好きなことをやることと、自分のやることを好きになること、
どっちにも多分正解があるから、がんばってほしいな。
と、そんな風におもったのでした。
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