バッハの有名な曲「G線上のアリア」
誰もが一度は耳にしたメロディの名曲だと思うけど、前から不思議に思っていることが有る。
この曲は「キャッチー過ぎる」のだ。
7度を多用した、半音の進行やメロディ、どれをとってもバロック時代の作品とは思えないくらい
「キャッチーさ」に満ちている。
有名なクラシックの代表曲と言えば、基本、古典派から〜ロマン派といった感じで、1800~1900年くらいのものが多い。
ベートーベンやモーツァルト、ブラームスやドビュッシー、今でもCMや街角などで耳にするクラシックの音楽はだいたいこの時代だ。
この時代の音楽は現代人にも耳障り良く響くし、コード進行も和声も現在のロックやポップスとさほど変わりがない。
現代に通ずる「キャッチーさ」が形成されたのはこの時代であると言ってもいい。
ところがバッハが活躍したのは1700年代前半。バッハは1685年生、ベートーベンは1770年生まれなので、ほぼ100年の差がある。
なぜ、バッハは、100年も後の作風を先取りできたのか。。。。。
これから導きだされる答えは立ったひとつ。
つまり、G線上のアリアは「オーパーツ」だったんだ。
(オーパーツとは本来そこに無いはずのものが存在すること、マヤ文明の遺跡から発掘された宇宙ロケットの模型など)
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現代の売れないバンドマン、キーボーディストの青年、ジョナサン。
彼は、ひょんなことから、バロック時代にタイムスリップしてしまう。
所持金もなにもなく、手持ちはビートルズのつまったiPodだけ。
彼はタイムスリップしてたどりついたライプツィヒの街で、冴えない中年男性に手持ちのiPodの曲を聞かせた。
中年男性は、
「なんだい、このHey Judeって言う曲は!なんてすばらしいんだ!こんな曲は聞いたことも無い!ブラヴォー!!!」
と叫んだ、彼こそががヨハン・セバスチャン・バッハ、のちの高名な作曲家バッハその人である。
そして二人は音楽を通じて友人となり、音楽について語り合い、親交を暖めていく。
やがてバッハは病気のため亡くなる。その後、ジョナサンは、バッハの意志を継ぎ、バッハになりかわり、作曲を行うこととなった。
しかし、バッハ本人よりもジョナサンは少し若い。
これでは威厳が出せない。
そう思ったジョナサンは、街で見つけたもじゃもじゃのかつらをかぶることにした。。。。。
これが現代の我々の知るバッハ像の完成である。
そして、もじゃもじゃのかつらをかぶったジョナサンは次々と現代風の楽曲を生み出し発表していく。
ジョナサンの楽曲は現代からしてみれば、しょせんビートルズの真似ごとに過ぎなかったが、これがバロック時代の人々の耳には非常に新鮮に聞こえた、そしてジョナサン、いやバッハの人気は絶頂のものとなっていった。
しかし、それも長くは続かない、ある日ジョナサンは、タイムパトロールに発見されてしまう。
そして、歴史を変えた罪として、すべての記憶を抹消し、現代に送りかえされることとなった。
ジョナサンは元の売れないバンドマンに戻り、さらに同時代の人の記憶からも消された。もちろん、ジョナサンの発表した多くの楽曲も一緒に。
しかし、たった一枚、引き出しの奥にしまわれた一枚の楽譜にタイムパトロールは気がつかなかった。
それは、いかにこの時代でもてはやされようとも、所詮自分は才能がなく、ビートルズのパクリしか出来ない、と自ら理解していたジョナサン自身が、唯一自分で名曲を作れた、と自負していた楽曲である。
それをジョナサンは大切にしまい込んであったのだ。
それこそが「G線上のアリア」である。
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という経緯があったことは間違いない。
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